呉葉(くれは) 

当店は着物屋ですが、茶道具や古美術も扱っています。このブログは着物関係について考えようということで始めましたが、今回はとある「茶碗」について紹介しようと思います。今後は着物以外も少し増える予定です。
 
 
さて、その茶碗とは中里鉄也氏の唐津茶碗。パッと見「古い茶碗?」と思えるほどの出来栄え。大きさ、使い勝手、美しさ、どれも良いので我が家のお宝にすべく箱を二重にし、銘をつけた。

呉羽の茶碗5

その銘とは「呉葉(くれは」

呉羽の茶碗1

箱はただ二重にしただけではなく、茶碗が入る方の小さい箱の蓋を加工した。穴を開けたのだ。

呉羽の茶碗2

上の画像の小さい箱の紙を取るとこのようになる。中にはオレンジ色の裂地が見える。これを拡大すると・・・

呉羽の茶碗3

兎と波の模様になっている。これは戸隠裂(とがくしきれ)と呼ばれるもの。

戸隠神社の御祭神、 天手力男命(あまのたじからおのみこと)は毎夜扉を蹴破って出て行くので、いつも木製の扉は壊れていた。そこで、蹴っても壊れない戸帳に変えたという。その戸帳に使われた模様がこの兎と波の戸隠裂だ。

可愛い柄を掛けておけば、気性の激しい神様の機嫌がおさまると考えたのだろう。

扉を蹴破るというのは腹が立っているということだ。よほど面白くないことがあったのだ。古事記を読むに、天照大神を岩戸より引きずり出した神様が天手力男命である。華々しい功績を見せる怪力無双の神様であるが、ひょっとすると後に戸隠の方に追いやられたのかもしれない。


そして茶碗の中には布に包まれた卵大の石が入っている。これについても意味があるが、伏せることにする。

呉羽の茶碗4

さて、茶碗の銘「呉葉」、実はこれ人の名前である。平安時代に戸隠にいた鬼女、紅葉(もみじ)のもう一つの名前だ。紅葉は謡曲の「紅葉狩」にもなっている。

ここで紅葉についての昔話を簡単にだが、紹介したい。


時は平安。類稀なる美貌と才知を兼ね備えた呉葉と呼ばれる女性がいた。ある時呉葉は両親と共に(とある事件があり)、名前を紅葉と変え都に移り住む。まもなくその美貌がしれ渡り、源経基(みなもとのつねもと)の奥方の侍女となる。そして経基の寵愛を受け懐妊する。

この頃、経基の正妻の体調が著しく悪くなる。異変を感じた経基は、比叡山の大行法師に祈祷を頼んだ。すると、これは何者かによって呪詛されている事が判明した。

法師は一計を案じ、看護しているもの全員に護符を掛けさせる事にした。それを拒んだ紅葉を問い詰めた所、ついに紅葉は呪詛を掛けた事を白状する。紅葉の行ったことは死罪に該当したが、身籠っていたこともあり戸隠に流罪となる。

戸隠に住むことになった紅葉。やがて子供が生まれる。しかし都への未練があったのか、都を忘れられない紅葉はだんだんと鬼の本性を顕にする。そして配下を徐々に増やしていく。

略奪等の悪事を重ね、だんだんと組織が大きくなっていく。やがて都まで紅葉の噂が届くと、時の天皇、冷泉天皇が平維茂(たいらのこれもち)に命じ、紅葉討伐隊が編成される。

ついに紅葉軍と平維茂軍が激突する。平維茂は当初すぐに片付くと思っていたが、大六天魔王から力を授かった紅葉は様々な妖術を駆使し、これを撃退する。

魔を制するには神仏の力を借りるしかないと思った維茂は、北向観音や戸隠権現に祈願する。その結果、維茂は観世音菩薩より降魔の宝剣を授かる。

宝剣を手にした維茂は紅葉の妖術を打ち破り、配下を次々と倒す。追い詰められた紅葉は逃げようとするが、維茂に矢で貫かれついに絶命する。

戦いの後、維茂らは、紅葉や配下を手厚く弔い戸隠の地に鬼塚を築いた。



紅葉狩




というものだ。しかし、紅葉が暮らしていた戸隠に残る話ではこうなっている。



①源氏の頭領、源経基の養女であった紅葉は宮中にいた時、平氏側の策謀により、無実の罪を被せられ、戸隠に追いやられた。

②水無瀬(みなせ)という土地に辿りついた紅葉は、里人に暖かくもてなされる。やがて館が建てられそこに住む。里人は内裏屋敷と呼んだ。

③紅葉は加持祈祷や医学の知識を用い、病人を治す。また裁縫や手芸、読み書きなど都の文化を里人に伝えた。村人からは敬愛されていた。

④しばらく平穏に暮らしていたが、帝や都への想いが断てず、近隣の土地に都の名前をつけたりしていた。

⑤地元の豪族、野武士らと共に、紅葉達は朝廷に対して決起する。(都に上がれると思っていたのかも)




以後は、同じような話で最後は討たれるという展開だ。凶悪な鬼という印象は、地元の人達には伝わっていないのである。

朝廷に対して反旗を翻すというのは、よほどの覚悟がいることだ。これはそうせざるを得ない理由があったのではと思う。税金が物凄く高かったのかもしれない。そう、生きてはいけないほどに・・・。


話は変わるが、何年か前、両親が戸隠へ旅行に行った。地元の年配の女性に話を聞いたそうだが、今でも紅葉を悪く言う人はいないそうだ。また、一昔前は秋の紅葉見物を指す言葉「紅葉狩り」も禁句だったようである。

紅葉の最後については、維茂軍の男共に弄ばれ、嬲り殺しになったという悲惨な話もあった

また、平維茂が紅葉征伐の際、用いた刀が「童子切り」である。最古の刀工、伯耆安綱(ほうきやすつな)作というこの刀は戸隠神社に奉納された。その後、紆余曲折あり現在は松巌寺に残っている。

しかし、この刀の銘を見るに、「童子」とは鬼と子供を指す言葉だ。故に紅葉の子供も殺されたように思う。



紅葉は私にとっても思い入れのある人物だ。とても悪人だったとは思えない。また当店の屋号は紅葉屋というが、祖父が暖簾分けしてもらったこの紅葉屋の名前のルーツは、この紅葉から来ている。紅葉は呉の国の人間だったとの伝説もあることから、呉服の屋号に相応しいと思ったのか。あるいは、紅葉屋の元祖の人が信州の方の出だったのかもしれない。
 
 
私は今、お茶の稽古で宗偏流の先生から学んでいるが、実は宗偏流の流祖、山田宗偏は紅葉を成敗した平維茂の子孫だと後で知った。なにやら因縁を感じる。

このように、この茶碗は戸隠の天手力男命と、鬼女紅葉の伝説を含んだお茶碗なのです。



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プロフィール

もみじ

Author:もみじ
名古屋市西区で着物屋を営んでいます。
主に着物(仕事)を通じた独り言です。

お着物のことなら何でもご相談下さいませ。

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